その男は、一流ハッカーとしてその名を馳せていた。彼は、『キース』という名前で、フリーランスのハッカーとして生計を立てていた。

 彼は、クライアントから依頼を受ける形で、銀行や会社、はたまた研究所など様々なところをハッキングしていた。
 
 そんなある日、キースの元に新たな依頼が舞い込んだ。依頼主の名は『エシロプ』。素性を一切明かそうとしない謎の人物はチャットという匿名性の高い手段を使って接触を図ってきた。
 
 その内容は、至極単純なことだった。大手銀行のサーバーに潜入し、顧客データを盗む、それだけだった。
 
「なんで、それが必要なんだい?」

「仕事上必要なんだ」

「そうか、だったらどこで渡せばいいんだ?」

「そうだな、動画サイトにあげてくれ」

「は?」

 キースはパソコンのモニターを前に、思わず素っ頓狂な声をあげた。自分が持ってくるのはデータだ。動画でもないし、音声データでもない。

「砂嵐に変換できるツールがあるんだ」

 キースの心情を察したのか、エシロプはそう説明した。

「今からリンクを送るから、そこからダウンロードしてほしい」

彼のいう通り、すぐにリンクが送られてきた。それをクリックすると彼が言ったのと同じ説明が現れた。

「わかった、すぐにやる」

変だな、と思いながらキースはそうメッセージを送った。

 その日の夜。ハッキングは思ったよりも簡単だった。抜け穴は意外にも早く見つかり、すぐにデータを抜き出すことができた。その後、エシロプが教えてくれたツールを使ってデータを砂嵐に変換し、動画サイトにあげた。一仕事終えたところで、キースは寝ることにした。この時、仕事を終えた高揚感で頭がいっぱいだった彼はまだ知らなかった。この動画が、後々大騒動を起こすことを。

 次の朝。キースは鈍いスマートフォンの通知音で目を覚ました。

「ん、なんだよ」
 
 時計を見ると、まだ六時。彼は眠い目を擦りながら通知を確認する。メッセージが来ていた。 送り主はハッカー仲間であるアッキーだった。
 
「おい、お前の動画、めっちゃバズってる」

「そーか」

「なんで他人事にしてんだよ、お前のことだろ」

「は?」

「とりあえず見てみろ!」

キースは恐る恐る見てみる。彼は目を見開く。SNSでは、こんなワードがトレンドに上がっていた。

『砂嵐』

それに連なる呟きを見ると、キースがあげた砂嵐が謎の動画として話題になっていた。話題にしているユーザーの中には、この動画には深い意味が込められているのかもしれないと、考察を巡らせるものもいた。まさに祭りと言っても過言ではない状況に、キースの眠気は一気に覚めた。
 
 この話題は、SNSの喧騒を通して各メディアにも届いたのか、すぐにネットニュースになった。ここでキースは、自分がやらかしたことにようやく気づいた。

「やばい」
 
 動画としてあげる際、非公開設定にしなかったのだ。
 
  彼は頭を抱える。
 
 このままだと、自分が盗んだとバレてしまう。事態をなんとか収束するには、動画を消すしかない。それには動画サイトにログインする必要がある。でも、普通にログインしたら足がつく––自分のIPアドレスが割られ、身元がバレてしまう。どうしよう、とキースは思索する。自分の脳細胞フル動員で、対策を夢中で考える。その末に、彼はある案を思いついた。

「そうだ、フリーWi-Fiなら大丈夫かも」

通常のWi-Fiはプライベートな識別情報が残り、個人を特定されてしまう。だが、不特定多数が利用するフリーWi-Fiなら、誰が何を使っているのかなんて追跡できない。だから、足がつかない。それがキースの導き出した算段だった。

彼はパソコンをリュックに入れて外へ出る。行き先はここから十五分ほど行ったところにある図書館だ。玄関を出てアパートの敷地を抜けるまでは順調だった。しかし、歩き始めて二分ほど経った頃、キースは背中に鋭い視線を感じた。振り返ると、電柱の陰から黒い服を着た大柄な男がこちらを見つめている。

(……つけてきている?)

気づかないふりをして前を向くが、背中の気配は消えない。ちらりと横目で確認すると、男は確実に距離を縮めてきていた。

「ちっ、なんだよ」

 キースは歩く速度を早める。背中は嫌な汗でじっとりと濡れ、背中に張り付くシャツの感覚が不快感を強めていた。そのまま、前だけを目指して歩き続ける。すると、いつの間にか男の姿はなくなっていた。ほっとしたところで、彼は図書館に到着した。

 図書館に入ってすぐ、キースは本を読むふりをしてノートパソコンを開いた。そのままフリーWi-Fiに繋ぐ。この日は人がいっぱいいるのか、接続するのに時間がかかった。繋がるのを待つ間、たくさんの人が彼の背後を通り過ぎる。生きた心地がしなかった。ここにいるすべての人が、自分を見張っているような気がする。そうしているうちに接続が終わり、インターネットが使えるようになった。
 
 動画サイトにアクセスしたキースは震える手でパスワードを入力し、ログインする。例の動画はいつの間にやら十万再生を突破していた。彼はそれをURLを知っているものだけ見れる『限定公開』に切り替えた。こうした方がこれ以上拡散するのを防げるからだ。増え続けていた再生数のカウンターが止まった瞬間、キースはその場に脱力した。
 ようやく、すべてが終わったのだ。

 数分後。図書館を出てすぐ、キースはエシロプに連絡を入れた。動画がバズったこと、限定公開にしたこと。すべてを話した。エシロプは、キースを責めるようなことは全く言わなかった。

「URLは後で送るよ」

「そうか……」

これで終わった。キースが安堵したその時だった。

「ご苦労様」

後ろで低い声がした。振り向くと、グレーのスーツを着た四十代くらいの男が立っていた。

「まさか……」

キースの声は震えていた。

「お前がエシロプか?」

「そうだ」
 
 男は微笑む。

「君はよくやった。絶対絶命のピンチにも関わらず、見事仕事をやり遂げた」

エシロプの声は穏やかだった。

「でも、君はここまでだ」

その瞬間、カチリという金属音が聞こえた。見ると、キースの手首に手錠がかかっていた。

「お前、なんなんだよ」

キースがそう言うと、エシロプは懐から何かを取り出した。金色に輝くエンブレム。これは警察のものだ。その瞬間、彼はピンと来た。『ecilop』を反対に読むと『police』になる。

「今回依頼をしたのは、君を捕まえるためだったんだ」

「じゃあ、俺が持ってきたデータは……」

「偽物だ」
 
 どうやら、銀行もグルになっていたようだ。

「君は今回の依頼でおかしいなと思ったことはあるかね」

「あ……」

 思い当たる節はいくつもあった。

「あんた、動画サイトにデータを置けって……」

「それはIPアドレスを利用して君の足を割ろうとするための作戦だよ。まさかあんなに話題にはなったのは想定外だったけどね」

「それなら、俺を追ってたやつは」

「それは私の部下だよ。君の居場所を逐一連絡してたんだ」

「つまり俺は、騙されていたってことか」

「正解だよ」

キースは頭を抱えた。これでは、未来も名声もすべてがなくなってしまう。

「でも、君の対処は見事だったよ。まさかフリーWi-Fiを使うとはね」

「え?」

キースは顔をあげた。

「よかったら、逮捕を取り消す代わりに、ホワイトハッカーとして我々に手を貸してくれないか?」