小沼キヨシは会社員。仕事での評価も高く、美人の恋人もいた。側から見れば、公私ともに絶好調といった感じだったが、その裏では悩みがあった。

それは、『汚いことが気になる』ということだった。部屋の中に落ちている髪の毛や埃はおろか、見えない細菌やウィルスも気になっていた。そのために、常にウェットティッシュや消毒液が手放せなかった。

「子供の頃からの悪い癖だからなあ」

これは、彼の幼馴染で親友であるタクヤの言葉だ。彼はキヨシの病的なほどの綺麗好きぶりを心配していた。

「綺麗だから、大丈夫だよ」

そんな言葉はキヨシには通じなかった。何をしても効かないと悟ったタクヤはそのまま放っておくことにした。

 
 そんな日が続いたある日。休日に自分の部屋で雑誌を読んでいたキヨシは、ある記事を見つけた。
 
 それは鶏肉による食中毒を青い光で照らすことで減らせるという内容だった。

もしかして、とここでキヨシは思った。
 
 この方法を応用すれば、部屋を常に清潔に保てるのでは。
 
 そう思った彼はすぐさま行動に移すことにした。

キヨシは、部屋中の電球を青いものに変えた。部屋だけではなく、トイレや風呂場の青に変えた。その日から、彼の視界は青に染まった。

 
 数日後。キヨシの部屋にタクヤが遊びに来た。中に一歩入ると、視界全てが青くなった。青い空間をしばらく見てると、目の奥が痛くなりそうな気がした。タクヤが目を押さえていると、キヨシがお茶を持ってやってきた。

「おい、なんで青いんだよ」

開口一番、タクヤはキヨシにそう言葉を投げかける。

「何って、清潔にするためだよ」

キヨシは、さも当たり前かのように答えた。

「雑誌でさ、鶏肉に青い光を当てると食中毒を防げるらしいんだ。で、部屋にも同じことが言えるのかなって思ったわけだ」

そう持論を嬉々として語るキヨシの目は一面の青の中で爛々と輝いていた。狂気じみた相手に、タクヤはドン引きするとともに、哀れみの感情を抱いた。

「お前さあ……」

「何?」

「長生きするよ」
 
 その言葉の意味が、皮肉であることを、キヨシは理解していなかった。

 部屋の照明を青くしてから1ヶ月が経った頃。夜中にキヨシはふと目を覚ました。目を開けると青い光が目を刺す。寝転がったまま、横目で時計を見ると、まだ夜の十一時だった。

「なあんだ」

ため息をついて再び目を閉じるが、なぜか意識は覚醒したままだった。何度も寝返りを打っても眠気は訪れず、焦燥感に駆られてベッドから起き上がる。グラスに酒を注いで喉に流し込み、ようやく束の間の眠りにつくことができた。

きっと、気の迷いだ。

生きていれば、そういう日だってある––そう自分に言い聞かせたのもつかの間、あの夜を境にキヨシの睡眠は完全に崩壊した。いくら高級な寝具に変えようが、話題の睡眠エクササイズを試そうが、まどろみすら訪れない。
 
 慢性的な寝不足は彼の理性を少しずつ削り取っていった。職場の同僚や部下へのあたりは日増しに激しくなり、ついには最も大切だったはずの恋人までも傷つけてしまう。限界を超えた彼女から、メッセージでそっけなく別れを告げられたのは、それから間も無くのことだった。

「ひどいこと言ってごめん」

すがりつくように送った謝罪のメッセージは、既読すらつかなかった。恋人のブロックという生まれて初めての絶望に、キヨシの精神は完全に崩れ去る。不眠症は悪化し、仕事でもケアレスミスを連発。そのたびに癇癪が爆発させて周囲に当たり散らす彼を重く見た会社は、ついに休職を言い渡した。

キヨシは納得できなかった。俺は仕事を真面目にしているはずなのに。でも、上司から、『これは君を思っての決断なんだ』と強く言われ、泣く泣く従うことにした。

青い光に満ちた部屋に一人閉じこもっても、心の休まる暇はない。職場からの連絡は途絶え、孤立していく恐怖に耐えかねたキヨシは、ついに唯一の繋がりであるタクヤに相救いを求めるように夜道でスマホを手に取った。

「はい」

ダイヤル音の後に聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。

「タクヤ……」

「キヨシ、どうしたんだよ」

いつも通りの様子でも、キヨシにはありがたかった。

「実は……」

タクヤはキヨシの話を黙って聞いてくれた。

「なあ、俺はこれからどうしたら良いんだ?」

「良い病院を紹介するから、行ってみて」

数日後、キヨシはタクヤが紹介してくれた病院に行った。柔らかな物腰の医者は、『自律神経の乱れだ』と診断した。

「最近、仕事とかのストレスとかありませんでした?」

「ストレス、ですか」

特になかった。

「そうですね、最近は……」

キヨシは、医者に自分の部屋の照明を全て青色にしたことを話した。話を聞いているうちに、医者の顔は険しくなった。

「誠に申し訳ないのですが、それは我々では直せない問題です」

「え、どういうことですか?」

「精神的な問題です」

医者は真顔で言った。

「いい施設を紹介するので、そこで治療を受けてください」

キヨシが紹介された治療施設に収容されてから、数週間が過ぎた頃、見舞いに現れたタクヤは、青い部屋の呪縛から離れた友人を見て、どこか晴れやかな顔で告げた。

「キヨシ、よかったな」

「何がだよ?」

「もう掃除しなくて済むな」
 
 その口元には、残酷なまでの笑みが浮かんでいた。